花と実と魔女と

08クロアチア 





2008・9・28


ローマ皇帝の宮殿が残る世界遺産の町☆スプリット その1










(7月15日撮影)


ところで、話は旅行に戻って
クロアチア旅行4日目のランチ、
上のお店で食べました。








お魚料理で、
手元にある旅行日程表によると、
クロアチア風ブイヤベースとあります。

ちょっとイメージ違いますけど・・・
美味しかったですよ。






お決まりのデザートも美味しかった???
(2ヵ月半前なので、正直忘れちゃったけど)
でも、歩き疲れているので、
甘いものは嬉しいのです。







トロギールでランチを戴いた後
車窓から、上のような眺めを楽しみながら
ローマ皇帝の宮殿が残る
世界遺産の町スプリットに向かいました。






対岸左側にきらめくように、
まとまって見える町が
今から目指すスプリット。






アドリア海沿岸最大の港町スプリット、
立派な椰子の並ぶ海岸をそぞろ歩くと、
落ち着いたハワイ?って気分です。







ローマ皇帝
ディオクレティアヌス帝(245~316年)の
宮殿がそのまま旧市街になったという
珍しい起源を持つ町。

その宮殿の外壁が
今も旧市街地の外壁として残っています。
写真の石組みは、その一部で、
今も使用されています。






一人の皇帝の隠居所が
そのまま旧市街地になったという
珍しい起源を持つ町、スプリット。

ご覧のように、
紀元3~4世紀に作られた要塞も現存し
その特殊な成り立ちと町並みが
世界遺産に登録されています。







そのぐるりの壁の中に
人々は現在も暮らしていて
要塞のアンテナからも
その様子をうかがい知る事ができます。

なんとも、不思議な町なのです・・・





☆☆☆・・・☆☆☆・・・☆☆☆・・・☆☆☆・・・☆☆☆・・・☆☆☆










上の写真は、
先日旅行をご一緒させていただいたNさんから
送っていただきました
旅の想い出がいっぱい詰まったDVD・・・


観るものを惹き付ける編集と
ステキに製作なさったのは、
「わたしは、後期高齢者ですから・・・」と
笑って自己紹介なさるご夫妻で、
お手紙を添えて送ってくださったのは、そのお嬢様。

パッケージからご想像通り、
その完成度は、プロ並み。


Nさんご夫妻がカメラに収めた町の様子や
現地で出会った人々(例えば子供たち)は
同じ旅行をした私にとっても新鮮で、
アングルや、編集もとてもお上手!
もちろん、BGMの選曲も最高でした。


昨日は、娘といっしょに楽しみましたが、
「良い所にいったんだね~
来年は、こちらのご夫妻と同じ旅行にしたら?」と
言われました。
実は、マジメに私もそう願いたいくらいです。(^.^)


そしてNさんの過去の旅行記(DVD)も
是非拝見したいと、思ってしまいました。

よかったら、
ダビングして見せてくださらないかしら?
などと、あつかましい
お願いをしているところです。(笑)

ほんとうに、素敵な旅行記のDVDで、
こちらで全編ご紹介できないのが残念なくらいです。

Nさん、ありがとうございました。










2008・9・29


世界遺産の町 ☆ スプリット「金の門」と「鉄の門」 その2





(7月15日撮影)


ローマ皇帝が隠居所として建てた宮殿が
そのまま、旧市街地になって
今まで町が続いてきたというスプリット。

写真はグルグール・ニンスキ司教の銅像。
左足の親指に触れると幸運が訪れるという・・・

どうりで、左足のあたりが人だかり。(笑)

こういう言い伝えって、
どの国にもあるようですね。
そして其処だけ、金ぴかだったり(^.^)


 






こちらが、「金の門」
他に銀の門、鉄の門もあります。

ここは、その昔、
金の飾りが施されていたのかも・・・






私たちは、
金の門から宮殿内(旧市街地)に入りましたが
この門は防備のため、二重構造に出来ています。






この塔は、
ディオクレティアヌスの霊廟としてたてられましたが、
後にキリスト教の大聖堂となりました。
ディオクレティアヌス皇帝が、
ネロと並ぶほどキリスト教弾圧した事を思えば
その後、キリスト教の大聖堂となるなんて・・・
何と皮肉な歴史!でしょう。
こちらの方に、「銀の門」があります。







こちらは「鉄の門」・・・
ディオクレティアヌス宮殿の四つの入り口の一つです。







古代エジプトから持ってきた
首の無いスフィンクス。



この宮殿を作った
ローマ皇帝ディオクレティアヌス帝は
キリスト教徒からはローマ時代に、
もっとも過酷な迫害をした帝として知られていますが

軍人皇帝時代を終わらせてからも、
絶大な権力をもって
故郷サロナの近くのスプリットに離宮を造営し
晩年を過ごしました。







彼の死後、7世紀になると
現在のクロアチア人の
先祖でもあるスラヴ人によって
この地方のサロナが破壊され
難を逃れた人々が、頑強な城壁に囲まれた
宮殿内で生活を始め、基礎部分はそのままに
その上から建物を増築していきました。


そのため、古代と中世の建物が
複雑に絡み合うような独自の町並みが生まれたのです。

その子孫が、こうして21世紀の今も
3世紀から4世紀に造営された城壁の中の
古い石積みの家で暮らしを営んでいるという現実、
洗濯物がアドリア海の風にはためいている様は
悠久の歴史をも感じさせてくれます。








2008・10・12


ローマ皇帝の宮殿が残る世界遺産の町☆スプリット その3





(7月15日撮影)

ところで、話は旅行に戻って
クロアチア旅行4日目の午後、

スプリット旧市街の外壁の外側の景観は
沢山の観光客がゆったり散策する姿がよく似合う
ステキなリゾート地の雰囲気。

ローマ皇帝ディオクレティアヌスが
離宮としてこの地を選んだのが納得できる
気持ちの良いエリアです。

そして、この建物のちょっとした所から
地下に入ります。







そして地階に入ると、こちらの洞窟のようなのが
ディオクレティアヌス宮殿の地階部分。

宮殿を使ったショップが並び、
タイムスリップしたようでいて、
中はとっても現代的。

超アンティークな店構えの
リアル・ショッピングモールです。






宮殿内にかつての姿の全貌が架けてありました。

そして、この絵から見ると
さすが!ローマ皇帝の居城。

一つの町のよう・・・









現在、私たちが見るこの部分は
地下一階にあたり、二層部分の下段。

中世以来、この部分はまったく知られずにいて
上階に暮らす人たちのゴミ捨て穴だったのですからオドロキ。
天井近くに見える丸い穴からどんどん、
ゴミが捨てられた洞(うろ)だったわけです。

そして建設された形は当時
まったく同じ間取りが二階にあったと考えられ
興味深く見ることができます。








それにしても、紀元3~4世紀の建造物が
これほど、しっかり見る事ができるなんて・・・
オドロキです。






そしてこの方が、
ディオクレティアヌス皇帝、その人です。
明日につづく・・・









2008・9・25


地下に宮殿が残る世界遺産の町☆スプリット その4





(7月15日撮影)


ところで、話は旅行に戻って
クロアチア旅行4日目の午後、


ところで、これ、なんだと思われますか?

答えは、オレンジ絞り機です(^.^)
どれだけ沢山のオレンジを絞ったのでしょうね。







このような穴が
7世紀以来上の階に住む人々が便利に物を捨てていた
ゴミ捨て穴。
ダストシュートとでも申しましょうか・・・(笑)

7世紀以降上の階に城壁に囲まれた町を作った人々は
まさかこれほど巨大な空間があると走らず、
ポイポイ捨てていたらしいです。

そして、なんと、右上の白く丸い管は、
地上に住む現代人の使う配管!!







高い天井に大きく開いた穴からは
上の階の様子も見えます。

地下から見上げる穴の中には
黒っぽい配管が見えます。
これも、地上階に住む、
現代生活のための何かの配管のひとつ!!

こちらの世界遺産は現代人の暮らしと
共にありながら、存在していることに驚くばかり。







堅牢な城壁の上には
立派な現代の家が建てられています。
しっかり現代に息づく世界遺産なのですね。






観光客が多いので
カフェもいっぱいあります。
クロアチアのメジャーな観光地として
お薦めなところでした。









アドリア海には、ヨット、ヨット、ヨット・・・
さすが、クロアチアの一大リゾート地ですね。
ヨーロッパ各国かいらしているらしいですよ。

イタリアのベネチアの対岸辺りに位置する
クロアチアだということを
この景色から思い出していただくと
状況がわかりやすいかもしれません。








2008・10・25


世界遺産ドブロブニクに向かって☆紺碧のアドリア海を行く





(7月16日撮影)


ところで、話は久しぶりにこの夏行った
クロアチア旅行記に戻ります。
アドリア海を望む世界遺産の町
スプリットのホテルの前の海辺。


クロアチア旅行5日目
朝出発前に海岸に出てみました。


右手に見える工事現場は
年々増える観光客のためのホテル建設のようでした。







海は、こんなに透明度が高くて
とても美しい・・・

人口密度が低いということも
自然がそのままに残るのには
良いことなのでしょうね。

今回の旅行中、
人口が多すぎないことと
空気が綺麗なことを感じ続けていましたから。





この日は、いよいよクロアチアの観光の目玉、
ドブロブニクに向かって、
バスでひたすら南下。







移動のため、4時間のバスツアーとなりますが
その道中眼下に続くのは、ほんとうに美しい海岸。







右手、中腹に走る一本の線のようなのが
このとき通った道路。

勿論舗装されていますし
安全な道ですのでご安心を。








実はツアーの予定表をみたとき
「あ、この日は長いバスの旅、辛そう・・」と
思ったのですが、好天にも恵まれ
気持ちの良いドライブとなり、
4時間の旅も大して長くは感じませんでした。







目的地、ドブロブニクへは、
まだまだ道半ばですが
海水浴を楽しめる海岸も所々にあり
平和を噛みしめながらバスに揺られておりました。

☆ドブロブニクへ つづく ☆








2008・10・25


世界遺産の町 ☆ ドブロブニクヘの道






(7月16日撮影)


クロアチア旅行5日目の午前、
スプリットから
ドブロブニクへの4時間のバスツアー。

そしてこちらは途中立ち寄った
いまだに、紛争の続いている
ボスニアヘルツェゴビナの
ネウムでのトイレ休憩のときパチリ。
勿論、此処は安全な場所でしたよ。

海岸は何処も絵葉書になる美しさ。
この景色が
長時間ドライブの疲れを忘れさせてくれます。






バスにはトイレが付いていないので
時々スーベニアショップに立ち寄ります。

2段目の白い袋は妖しい薬・・なんてはずは無く
アドリア海の塩。
3段目の茶色っぽいのは「干しイチヂク」
一番下の赤い箱は、ハーブティ(ローズヒップ系)

以上がクロアチアの
お土産のメインだったような気がします。







再びバスで、ひたすら南下・・。







いよいよ、ドブロブニクの町が見えてきました。







ここで、先ずは腹ごしらえ。
ランチを戴いたお店の入り口。







スープに・・






リゾット。
(イタリアに近いということでしょうね)







プディングだったと思います。







そして此処にも、
綺麗な海水浴場が広がります。








2008・11・1


いよいよ城壁に囲まれた☆アドリア海の真珠・ドブロブニク





(7月16日撮影)


「アドリア海の真珠」と呼ばれ
クロアチア屈指の観光の名所ドブロブニク。
世界遺産に指定されています。


クロアチア旅行5日目の午後、
いよいよ旧市街地をぐるりと囲む分厚い城壁を
仰ぎ見るところまでたどり着きました。








ドブロブニクの要塞は
ご覧のように、自然の海岸の岩を基礎に
堅牢なつくりで建っています。






私たち旅行者を迎えてくれるのは
その要塞の入り口の一つピレ門。







この門が作られた16世紀当時
深い堀にかけられた橋は
木造の跳ね橋だったといいます。

現在架け替えられた石の門も
なかなかの風情ではあります。

私たちも、いざ入城。






ピレ門をくぐると先ず目に入るのは、
旧市街地のメインストリート、ブラツァ通り。

そこには、なにやら歴史を感ずる大きな噴水・・・

オノフリオの噴水といわれ今も湧き水が楽しめます。







15世紀に活躍したイタリアルネッサンスの彫刻家
ピエトロ・ダ・ミラノの手による華麗な装飾に飾られ
天然の湧き水が今も楽しめるというのも
古いものを大切にしてきたドブロヴニクならでは。

私は飲んでみる事を遠慮しましたが(笑)
沢山の観光客や、町の子供達が手に掬い飲んでいました。










2008・11・3


アドリア海の真珠・ドブロブニク☆旧市街地を歩く






ところで、話は旅行に戻って
クロアチア旅行5日目の午後

14世紀には町の中央通りの左側に
塔の立っているフランシスコ会修道院が建てられ
城塞に守られてきた歴史ある町の様子が
描き出され、掲げられています。

この町が、いま尚同じ様な姿を
とどめているのですから驚き!







これが上の地図に書いてあり
目抜き通りプラツァ通りの西側(左側)にある
フランシスコ会修道院。
地震の被害を受け17世紀に再建された建物。







このフランシスコ会修道院は
病人を癒した修道院としても知られており
驚くことに今も、現役の!薬局が営まれています。

此処はヨーロッパで三番目に古い薬局。
教会と一緒に、地震で一度は倒壊したのですが
営業は続けられ庶民の健康を支えてきたというもの。

当時の人々にとっての教会や修道院の役目を
垣間見る思いで見学できました。

今回のツアーには薬剤師さん母娘もいらしたので
感慨深いものがあったのではと、思ったものです。






ドブロブニクの東海岸寄りに
スポンザ宮殿があります。

そもそも、スポンザ宮殿は
商館兼、税関的な役割を持っていましたが
時代が下がるにつれ海洋貿易で栄えたドブロブニクで
次第に文化サロンと化していきます。







上の写真もスポンザ宮殿の塔ですが
現在は古文書館として使われているということです。






スポンザ宮殿の向かいにある
「聖ヴラホ教会」

教会の石段には
ひっきりなしに休憩をとる観光客が・・・
さすが世界遺産!
ここには沢山の観光客が集まっています。

私たちにとっても、自由散策後の集合場所でした。







こちらが、ドブロブニクの目抜き通り
「プラッツァ通り」
砲弾が打ち込まれた
内戦の傷跡も綺麗に修復されており、
石畳には相変わらずゴミ一つ落ちていません。
とても美しい・・・ドブロブニクを
人々がいかに愛しているか、
大切に思っているかがよく分かります。






目抜き通りにある
カフェでは、
観光客が思い思いにくつろいでいます。







こちらは横道、
店の看板が掲げられているランプが
シックでおしゃれ~。

ヨーロッパならではの小路に
旅の思い出が重なります。








2008・11・18


城壁ウォークで空中散歩 ☆ オレンジ色の街並・ドブロブニク





(7月16日撮影)


ところで、話は旅行に戻って
クロアチア旅行5日目の午後

世界遺産になっているクロアチアの古都
ドブロブニク、いよいよ城壁の上をぐるり散策です。








写真はミンチェタ要塞。

城壁の所々にある要塞の中でも
一番背が高く、見張りには最適!観光にも最適!!







眼下の目抜き通りが
プラツァ通りです。

昔は商人や兵士(=住人)で、
今は観光客で一番にぎわっている通りです。(^.^)

背が高い建物が聖フランシスコ会修道院の鐘楼。

眼下に広がるオレンジ色の街並を望みながら
城壁ウォークで空中散歩気分が堪能できます。






城壁はもちろん頑丈な作りで
幅4メートルほど?高さは高いところでも25メートル。

人々の暮らしを間近に感じながら
歩くにつれ、町はその表情を変えながら
思わず息を呑む美しさで私たちに迫ってきます。







そしてアドリア海と頭上に広がる空は
何処までも青く・・・


城壁をぐるり散策する間
燦燦と輝く太陽をさえぎるものは何もありませんが、
はためく旗で感じていただきたい
アドリア海をわたる風が
心地よく吹き渡っています。






一方、山側が見える方角を歩くときには(一方通行)
ご覧の赤屋根と山肌の感じが
異国情緒を楽しませてくれます。


ツアー添乗員さんは海側の美しさを
力強く話してくれましたが
私的には、それぞれに美しいと・・・







海岸の岩肌のごつごつした感じと
絶壁に建つ城壁のコントラストが
また、美しく感じられます。






時に展示された大砲に
古い時代からの要塞の意味を改めて思い出させます。








そして、こんな断崖でも
泳ぐ人はいるわけで・・・

暑い日だったので、
水浴している方々がとても気持ちよさそうでした。






城壁は一周一方通行で
上り口は三箇所ありますが、
生憎好きなところで途中下車(笑)はゆるされません。
一周は約一時間です。

最後に振り返って、アドリア海をもう一度眺めて大満足。






こちらはアドリア海に浮かべた遊覧船からパチリ。
30分ほどのクルーズでしたが、
中世の時代から変わらぬ海から眺めるドブロブニクの
偉容に、言葉も出ません。






今日の最後に、アドリア海に浮かぶ
世界遺産、ドブロブニクを 
町から少し離れた高台からご覧に入れましょう。


小さな都市国家でありながら
19世紀にナポレオンの大軍に降伏するまで
一度も侵略されず17世紀の地震以外は解されなかった町。
ナポレオン失脚後は、
オーストリア=ハンガリー(二重帝国)に組み込まれ
歴史の表舞台からひっそりと去ったのです。

1991年クロアチアはユーゴスロヴェニアからの独立を宣言し
激しい戦いが繰り広げられました。

戦後、クロアチアの人々による見事な復旧活動の成果
赤い屋根瓦の町並は蘇りました。

戦後僅かな間に、
これほどまでの美しさと平穏をとりもどした
クロアチアの人々のパワーには
自由と平和への深い願が込められているのですね。




*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。..。:*・゜゜・*:.。..。:**・゜゜・*



さて、このアドリア海に面する美しい町ドブロブニク、
皆様の中にはスタジオジブリの作品を
思い起こされた方もいらしたのではと思います。


例えば、
スエーデンのストックホルムがモデルといわれる
「魔女の宅急便」で魔女見習いのキキが暮らす
グーチョキパン店のある地区は
クロアチアの沿岸でよく見る風景に思えます。
海に突き出した島、オレンジ色の屋根は
ここドブロブニクにそっくり(^.^)

そして、「虹の豚」
抜けるような青空と深い海、
ぽっかり浮かぶ雲と緑の島々、
そしてオレンジ色の家並み。

海岸と島々が平衡に連なる景観の美しい
ダルマチア地方特有の絶景こそが
「虹の豚」の元エースパイロットポルコが
戦争を嫌って逃げ込んだ海岸だといわれています。



ジブリの世界に最も近い・・・と噂の
ここ、クロアチアのダルマチア地方を
旅すれば、ロマンが広がること請合います。








2008・11・20


これが本当に見たかった:アドリア海の真珠 ☆ ドブロブニク





(7月16日撮影)


昨日の日記に続いて
クロアチア旅行5日目の午後
ドブロブニクの城壁の空中散歩を終え
ホテルに戻ります。
写真はホテルのプライベートビーチ。

この日のホテルはたまたま、
ちょっといい感じのリゾートホテルでした♪





部屋から見えた風景ですが
アドリア海に
沈んでいく夕陽は
特別ゆっくり、大きく感じます。






日は変わって
旅行6日目の朝食。

海の見えるテラスで
アドリア海の海風と共に
美味しくいただきました。







この日は、いよいよドブロブニクから
モンテネグロのコトルに向かいます。
その途中の高台でバス中からパチリ。






ぐるりを一時間で一周できる城壁に囲まれた街
ドブロブニク・・・
戦争があったことが、信じられない程の復旧で
赤屋根の連なる街が
まるで、おとぎの国のように美しく感じられます。







モンテネグロに向かう途中、
今度はバスを降り、別の高台に上って
別れを惜しみながら眺めました。

アドリア海の真珠「ドブロブニク」

ここからの眺めが見たかった・・・
本当に来たかったポイントからの眺め・・・・・







はるばる遠くへ来たもんだ・・・と思うと同時に
メルヘンの世界に迷い込んだような錯覚を起させる町。


ジェット機に乗れば世界一周も
ある意味、簡単な時代ですが

ドブロブニクの景観は別世界!と思わせられた
2日間でした。








2008・11・18


モンテネグロの世界遺産 ☆ 城塞都市 コトル





(7月17日撮影)

ドブロブニクを後にして
次は 2006年
旧ユーゴから独立したばかりの国
モンテネグロにある、
コトル旧市街地に向かいます。





モンテネグロは
南ヨーロッパで最も深い入り江の奥に位置し、
国名のモンテネグロとは、
黒い山を意味するイタリア語のヴェネツィア方言。

その名の通り、背後を険しい山に守られたこの小国は
未だあまり知られていません。

国の人口わずか62万人、面積はほぼ福島県と同じで
その狭い国土の中に国立公園を4つ有します。



コトルまでドブロブニクからはご覧のように
アドリア海を車窓に楽しみながら車で2時間15分。







海上、向かって左に見えるのはセントジョージ島、
右に見えるのがコトルの近くにある聖母マリア協会。

この教会は、海難から身を守ってくれるという
言い伝えがあるそうですが、
後ろを険しい山に囲まれたコトルの人々にとって
海運の安全は、まさに一番の願であったことは
よく分かります。






いよいよ、城塞都市コトルに着きました。
険しい山が背後に迫ってきています。






写真の山腹にも 4.5キロにも渡って
堅牢な城塞が築かれているのが
ご覧になれるでしょうか?
聖ジョバンニ要塞です。

難攻不落の城のためには
知恵と人力とで
絶壁連なる険しい岩山に築く必要があったのですね。


そしてこの地形こそが
ローマ都市アスクリビウムとして始まり、
ビザンツ帝国、ハンガリー王国に支配されながらも
一定の自治を保って繁栄した所以でしょう。


14世紀にセルビア王国のもと最盛期を迎え、
やがてヴェネツィアの支配を受け
アドリア海の前線基地が置かれました。

コトル湾と岩山に囲まれた地形に堅く守られているため、
トルコ軍や海賊を撃退しコトルは栄えることができたのです。







古都にはおなじみ!な狭い入り口。
正門の「海の門」
現代の観光客にとっては、
赤いチョッキの門番がいたりして
絶好のカメラスポットです(^.^)






コトルのシンボルとなっている時計台、
前は広場になっています。



城塞の古都、謎深きコトルについては・・・次回につづきます。







2008・11・18


モンテネグロ美人?と世界遺産の町 ☆ コトル





(7月17日撮影)

紀元前1世紀にローマ帝国の町として建設され
11世紀にセルビア王国の海港都市として発展を始め
さらに中世のヴェネチア共和国支配下で東方貿易の中継点、
海運業の拠点として繁栄した城壁の町コトル。

写真は1166年建造の聖トリフォン大聖堂。






1979年の地震で
大きな損傷を受けた教会内部は
ご覧のように修復されてあり
地震のために欠損した部分が
所々痛々しく感じられます。





路幅はローマ帝国時代から同じなのでしょうか・・・
とっても狭いですが、石畳に歴史を感じ
迷路のような小路を歩いていると
いつの時代かの
この街の住人のような気分になれるから不思議。







街中をウロウロしていると
こんなふくよかな老夫妻に遭遇(^.^)

この「ふたり」が居たのは
観光案内所のような所だったと思います。







城塞の中の小さな町コトル。

石畳の町の至る所に休憩所はたくさんあって
観光で成り立っているこの街は
古代からの遺産をこれからも
大切に守り続けていくことでしょう。







こちらのお嬢さんも観光客かしら?
すごくお美しい・・・(^.^)








2008・11・18


こちらも古い街ながらリゾートの ☆ ブドヴァ





(7月17日撮影)

今回のクロアチアの旅6日目
ご紹介したモンテネグロの古都コトル観光の後
車で40分ほど走り
こちらも歴史の古いブドヴァへ向かいます。

車窓から、眩しいほどの海の輝きを楽しめます。






ブドヴァもなんと2500年の歴史を誇る城塞都市で、
海側にもこんな立派な城壁が残っています。
アドリア海沿岸の都市でも特に古いものの一つなんですね。







ぐるり城壁に囲まれた古都ブドヴァは、
ブドヴァンスカ・リヴィエラと呼ばれる
モンテネグロ観光の中心地です。

アドリア海に面した街だけあって、
7月の陽射しはかなり強かったですが
湿気が無いのでカラッとしています。
これぞまさしく地中海性気候!を実感。






石造りの家並みが連なる小道は
相変わらず、迷路のようです。






それでも、ゴミ一つ無いのにはここでも感心します。
観光地だけあって、看板の下がっているお店は
大抵、観光客相手のおみやげ物屋さん。







車で40分ほどのドブロブニクと比べて
人の少ないのにホッとします。






アドリア海屈指のリゾートでもあり、
ご覧のように、ヨットハーバーには
立派な船が所狭しと係留中。

ついこないだ独立したばかりの
モンテネグロの町とは思えません・・・
というか、これだけリゾートとしての価値も手伝って
無血の独立が果たせたのかもしれませんが・・・


☆ モンテネグロの独立 ミニ情報 ☆

2006年5月21日に、セルビアからの分離独立の可否を問う
国民投票が実施され、結果、投票率86.5%、賛成55.5%で
欧州連合の示した条件をクリア。
2006年6月3日夜、独立を宣言した。

6月5日にはセルビアもセルビア・モンテネグロの継承を宣言し
モンテネグロの独立を追認。
6月12日には欧州連合がモンテネグロに対する国家承認。

両国の独立により6つの共和国から構成されていた
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国は完全に解体。
6月28日には国際連合に加盟した。







2008・11・27


アドリア海に浮かぶ超高級リゾート ☆ スヴェティ・ステファン島





(7月17日撮影)


城塞都市、ブドヴァをあとに
再び、ドブロブニク近くのリゾートホテルへの帰路。

こんな眺めは、何度でも嬉しい・・・






ビーチでのんびり磯遊びを楽しんでいる
人々がハイウェイから見え
車窓から眺める私たちも伸び伸びした気分を味わえます。







そして眼下に見えるのは
モンテネグロが誇る、アドリア海の超高級リゾート島
「スヴェティ・ステファン島」

ブドヴァから数キロ離れた沖合に浮かぶ
外周1キロ程度の小島で、
ソフィア・ローレン等が訪れていたらしい・・・

遠くから見ても、映画のワンシーンになりそうな島ですね。







海岸にはビーチパラソルが並び
人々の開放感と、Happyなバケーションが垣間見れます。






アドリア海の入り江は深く、
ひたひたと凪いでいる紺碧の海が美しい・・・







こちらは、二連泊目の私たちのホテル。

私たちの日本人のツアーは
あちこち、観光に忙しいですが
プライベートビーチで、のんびりしている人も居る訳で・・・

でも、このときはすで夕刻で
涼しくなってきていますから
さすがに、泳いでいる人は少なかったですが。







夕ごはんは、バイキング。
(盛り付けが下手でゴメンなさい)

アドリア海を挟むイタリアの対岸だけあって、
イタリアンなお食事は美味しかったですよ。







海に吸い込まれるように
大きな太陽が落ちていく瞬間。

潮騒を聞きながら
大自然の中に沈む夕陽は 
見るものを言葉少なくします。








2008・12・2


クロアチア旅行7日目☆世界遺産のある街・シベニクへ





(7月18日撮影)

日ごとに冬の気配がやってきていますが、
こちらのブログは、
思いっきり夏の「クロアチア」へ タイムスリップ。

旅行7日目は、ドブロブニクのホテルから
プリトヴィッツェへ、向かいますが
その途中にシベニクと言う町に立ち寄ります。

といっても、先ずはバスで4時間30分!
約280キロの旅。

途中いたるところに、
海水浴の美しいビーチがみえます。







アドリア海に別れを告げ
バスは、内陸部へと進みます。

海岸ぎりぎりまで迫り来る山々。
白い線のように見えるのは道路です。






また、家々の屋根も見えますが、
何せ内戦から年月が浅いということもあり、
無人の空き家もそこ此処にみつかります。

内戦時、前線になったこの辺りから
家を捨てて逃げた住民も多く
戻ってきている人もいれば
そのまま空き家になっている事も
少なくないそうです。






舗装も、まだ未完な国道をすすみますと
突然、立派なハイウエイと料金所があり、びっくり。






また少し、進むと郊外型ショッピングモールに到着。

周りは何も無い地区に見えますが
これまた突然、広い駐車場が出現。







ショッピングモールの2階のレストランで
ランチタイムと相成ります。

写真は、レストランへのエントランス。

左のお店に、セールの赤い文字発見!
7月中旬夏物バーゲンは世界共通ですね。(^.^)




ランチのスープ ♪



何かのから揚げだったような・・・
忘却の彼方です。(~_~;)





これはデザートのクレープですね!
シンプルだけど、
こういうのがホッとしたりして。







食後のお散歩は
一階の大きな食料品のスーパーへ
社会見学 & お土産物探し。

レジも立派でしょう?
先ほど通った、内線の爪あとの残る
無人家屋(廃墟)とのギャップが大きすぎ、
なんだか不思議な気分です。





野菜売り場、真ん中下段の山芋のようなのは、
一体何なのでしょうね~?

ミーシャさんはご存知かしら?





季節は夏ですが、
これはリンゴに見えますよね?






そしてこれは桃?
どれも新鮮に見えますし
それまで、畑はあまり見てこなかったので
何処で生産されているのか分かりませんが
物は豊富で、豊かな印象を受けました。

因みに、わたしはこのスーパーで
ハーブ味の歯磨きチューブと
ハーブティ(箱入り)をまとめて購入。
それぞれ、パッケージがおしゃれでしたヨ。








2008・11・28


クロアチア・アドリア海岸のほぼ真ん中 ☆ シベニク 





(7月18日撮影)


旅行7日目の午後

クロアチアのアドリア海の
ほぼ真ん中に位置するシベニク。
クルカ川の河口に開けた歴史ある古い町。

町中には、数多くの教会が立ち並んでいます。




立派な像があったのですが、
果たしてこの方はどなただったかしら???

すみません、忘却の彼方・・・
たしか詩人だったような気がしますが。





古い町の様子を描いた地図。
こちらも、海岸にせり出た形で
発展していたのですね。




中世の町を色濃く残し
細い路地を歩いているだけでも、
充分楽しめます。

そして、ご覧のように、人が少ない・・・

今回訪れたクロアチアの中でも
最も人が少なく、まるで、マイタウンのような気分で
中世の町をそぞろ歩くことができます。

アドリア海の対岸イタリアのヴェネチアなどと比べるまでも無く、
まだまだ、観光の穴場かも。




気ままに町を散策すると
祠のなかには、マリアさまが
奉られていたりするのも
中世の面影・・・





時には、行き止まり?なんて感じの
入り組んだ形の建造物が・・・

このあたりには、
今も修道院があって、
敬虔なクリスチャンが神の教えを
学び暮らしているといいます。









2008・11・28


クロアチア・シベニクの世界遺産 ☆ 聖ヤコブ大聖堂






ところで、
クロアチア旅行7日目の午後

この町の見どころ、
聖ヤコブ大聖堂が見えてきました。
クーポラ(丸屋根)は特徴的で、
教会だと直ぐ分かります。


(7月17日撮影)





聖ヤコブ大聖堂は、
世界遺産にも登録されており
この町の観光名所。






建築には1431年から1535年と
100年以上もかかっており、
途中幾度も建築責任者が変わっています。

そのため、当初ゴシック様式からルネッサンス様式となり
丸屋根の部分はまさにルネッサンス風なんですね。







大聖堂は石材だけを用いて建てられています。







薔薇窓(ステンドグラス)もあって、
荘厳な中にも、華やかさが添えられていますね。







キャンドルの灯が
雰囲気をかもしだしていて・・・







特に特徴的なのは
教会の東側に施されている
71もの、人間の頭部の彫刻。
当時のシベニクの有力者の顔だといわれています。







2009・1・3


アドリア海 ☆ 中世の趣の街シベニク散策





(7月17日撮影)

ところで、

クロアチア旅行7日目の午後

クロアチア国のアドリア海岸沿いにある

南北のちょうど真ん中辺りにある街シベニク。



こちらの建物、一体なんだと思われますか?

実は、市庁舎なんです。

日よけがオシャレですね(^.^)





シベニクには
沢山の教会がありますが
細い路地奥に見える教会の佇まい・・・

時計と鐘楼があって
中世の時代から、
人々の暮らしのリズムを刻んできたことが伺われます。


そしてもう一つ、
足元の石畳の石が平らで
鏡のように光っています。

何より歩きやすいですし、
端正な町の姿を際立たせているように
感じました。




そして こちらがなんと
世界で一番古い電球の街路灯だそうです。

黄色い外壁とあいまって
どこかオシャレだと思うのは
私だけでしょうか・・・?






うって変わって、こちらは町の広場の
おみやげ物屋さんのテント。

これから観光客もどんどん増える予感がしますが
このシベニクは、いつまでもしっとりとした
中世の趣を残してほしいな~と願うのは
やはり、身勝手でしょうか。






真っ白な夾竹桃が満開に咲いていて
此処シベニクで、
私たちを迎え、見送ってくれました・・・












































































































































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